「できる」「できない」などの可能、不可能を表す言葉。これらが持つ可能性について考察していきたいと思う。
今回問題点として挙げるのは、この「できる」「できない」の使用範囲についてである。
例えば「死」という事象に於いて、「死ぬこと」は「可能」か「不可能」か、ということである。
日常会話に於いて「死ぬこと」は、「できない」と答える人間が大半である。だが論理的、物理的に言うならば「できる」のである。
我々はここで、論争の要素を多分に内在させた「喧嘩」という論理的思考力
を発揮させる遊戯を日々行なっているわけだが、今回取り上げた「可能か否か」に於いては前述のような、自然となされている線引きがあるように思う。上記2点を明確に差別化させ得るモノとはなんであるのか、曖昧で抽象的な結論を出すことなく皆と共に考察していきたいと思う次第である。完
>>1
身体的には死ぬことは可能だけど精神がそれを許さないので『(精神的には)できない』のニュアンスだろうな。
要は「できる」は総合的に可能であることを意味し、それを構成する二つの要素が精神と身体。
例)
あいつを殴るなんて俺にはできない(精神)
人は道具なしには飛べない(身体)
俺はつい最近 「できない」と「やらない」の境界線について考えてたから>1を見たときそれかと思って運命を感じたけど内容違った。
死ぬことが可能か否かという問いには、聞かれた人が自害するための実行力があると見なせる場合、質問者は相手は自害可能という前提が生じるので、実行力的な質問にはならず、そうすると動機的な質問となるのであるから、真意としては死ぬ意思はあるかどうかを問うものとなり、聞かれた人はそのような質問者の意図を察し、動機的に出来ないと答えるのが一般的であろう。